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京都地方裁判所 平成2年(ワ)1809号 判決

原告

A

右訴訟代理人弁護士

小山千蔭

菅充行

坂和優

中島俊則

三重利典

青木苗子

三野岳彦

松本輝夫

被告

乙川一郎

右訴訟代理人弁護士

滝澤修一

主文

一  被告は原告に対し、金一二〇〇万円及びこれに対する平成二年(一九九〇年)九月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、五〇〇〇万円及びこれに対する平成二年(一九九〇年)九月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事実経過

(一) 当事者

原告は、昭和三八年(一九六三年)五月七日、スリランカの首都コロンボの近郷のゴタドゥワァで出生し、スリランカのGCE(GENERAL・CERTIFICATION・OF・EDUCATIONの略)のOL課程(中等課程―二年制)を終了し、更にGCEのALの課程(高等課程―二年制)で一年半勉強を続けた後、昭和五六年(一九八一年)から三年間コロンボ中央病院で看護婦として勤務し、昭和五九年(一九八四年、二一歳)頃同病院を退職して家事に従事していた。

他方、被告は、昭和五四年(一九七九年)、肩書き住所地において、有限会社東信メールの商号で広告代理、東信結婚相談所の名称で結婚相談所を経営し、スリランカから独身女性を来日させて日本人男性に紹介する事業を始めていた。

(二) 原告の来日に至る経緯

原告は、昭和六二年(一九八七年)七月頃、「ディナミナ」(DINAMINA、日刊紙)において、クスマ・ペレラという人物の事務所が、「日本で三か月間のコンピューター研修を行うについて研修生を募集する。三カ月間の研修を受けるとスリランカにあるスリランカと日本との合弁会社で働ける。」との広告を出したのを読み、右会社がコンピューターを扱う会社で、日本との合弁会社であり、将来性があると考え、これに応募した。

原告は、同年八月一〇日頃、クスマ・ペレラ事務所で、初めて被告に会い、ニロミ・アタナヤカ(クスマ・ペレラの娘)から、被告が「この企画の全責任者である。」と紹介を受け、面接の結果、原告は採用となり、原告を含め同じく採用となった二四人のスリランカ人女性とともに同年九月七日に来日した。

(三) 原告の来日後の強制的見合いと訴外鈴木春夫(以下「鈴木」という。)との婚姻に至る経緯

(1) 原告ら二四名は、入国後肩書き住所地にある被告方に向かったが、工場内単純作業に従事するものは途中で大半が下車し、最終目的地に着いたのは原告を含め四名であった。被告の事務所及び同一敷地内にある自宅には、既に別グループとして被告にスリランカから連れてこられた二〇名程のスリランカ人女性が居住していた。

そして、原告らは、翌日、被告の息子から、更に、来日二日から三日後被告から、「日本人男性と結婚しなければならない。」と通告された。

(2) 原告らは、スリランカ出国の際、説明された条件と全く異なるため、当初は日本人男性との結婚を強く拒否した。ところが、被告は原告らに対し、「拒否する者は日本への渡航費や日本での滞在費を含め、一〇万ルピーを支払わねばならない。」といったり、かつ原告らのパスポートを取り上げていたため、原告らの中には畏怖困惑のあまり、日本人男性との見合いにしぶしぶ応ずる者も出てきた。

特に、見合いを拒否した他の仲間は、別室に閉じ込められ、食事を減らされたり、一週間に一度しかシャワーを浴びることができなくされるという、嫌がらせを受けた。スリランカでは一日一度はシャワーを浴びる習慣があり、右仕打ちははスリランカの若い女性にとって虐待ともいえる行為であった。

原告自身も、帰国して右費用を返済することもできず、また右虐待行為を受けることを避けたい一心で、やむなく集団見合いに応じることとした。

右仕打によって、見合いを拒否していた人達も数日後には全員が見合いに応じることになった。

(3) 右見合いは、同年九月一〇日過ぎ頃、行われたがその方式は、スリランカ人女性が番号札をつけて大広間に並び、日本人男性が一人ずつ部屋に入り、気に入った女性を一方的に番号で選択する方式が採られた。

原告は、未婚であり結婚する意思はなかったので、最初男性四人の申出を断り、次いで、翌日の二人も断ったところ、七人目の男性として鈴木があらわれた。鈴木は、当時五〇才に達していたが初婚であり、執拗に原告との結婚を申し込み、翌日、被告も嫌がらせのため、原告の目前で電卓により結婚を拒否した場合の請求金額を計算したりなどした。その結果、原告は、すでに滞在していたスリランカ人女性を含めた二四名程のうちから日本人男性と結婚する者があらわれたうえ、鈴木との結婚を断れば、滞在費など所持していなかったので被告に返還することはできないし、さらに被告から虐待行為を受けるおそれもあったことなどから、悩んだ末思い直して、鈴木との結婚に合意した。

その後、原告は、同年九月二九日、鈴木とともに、挙式のためスリランカに帰国した。

原告は、一旦約束した以上、前向きに新たな家庭を築くのが責任ある態度であるとの強い信念を持っていたので、鈴木のもとから逃げ出したりしなかった。

(4) 原告は、同年一〇月一日、鈴木とコロンボのラマダホテルにおいて挙式し、スリランカ発行の婚姻証明書を貰い、同年一〇月三〇日、東京都足立区役所に右証明書を提出し、鈴木との婚姻届出をなした。

なお、鈴木は被告に対し、原告との婚姻斡旋の成功報酬として一〇〇〇万円を支払った。

(四) 鈴木との婚姻生活の破綻と被告の対応

原告は、東京都足立区〈番地略〉の鈴木方において新婚生活を始め、新家庭を作るべく、食事を一生懸命作るなどの家事に努めたほか、鈴木を理解すべく努力したのであるが、鈴木は、同年一一月頃、日本語も話せず地理もよく分からない原告を最寄りの駅に一人放置したまま立ち去り、その後迎えにも行かないという極めて不可解な行動をとった。

そして、鈴木は、原告とともに長野県上田市所在の被告事務所に夫婦関係について相談に行ったのであるが、これに対し、被告は、鈴木らから事情を聞いて、説得したりなど一切せず、原告らに対し新たに日本人男性やスリランカ人女性の写真を見せ、原告らに離婚及び再婚を勧めた。原告は、結婚を崇高なものであり、一旦結婚した以上、お互いに理解を深めて一生仲良くしなければならないと考えていたので、被告の、まるで物の部品のように、都合が悪ければ取り換えればよいという発想は全く理解できず、自分が物扱いされたことに強い衝撃を受けた。

(五) 離婚届偽造の経緯

(1) 鈴木は原告に対し、その後、執拗に別れてくれというようになり、一度暴力を振るったこともあった。これがため、原告と鈴木との関係は次第に疎遠になっていった。

(2) 原告は、昭和六三年(一九八八年)五月、父の持病の糖尿病が悪化し右足膝から下を切断しなければならなくなったので、スリランカに一時帰国することになり、鈴木に対し、一緒に帰国してくれるよう頼んだが、同人は旅費をくれただけで、同行することを拒んだ。

(3) 原告は、同年五月五日、一人で帰国したが、実家に帰って間もなく、被告と鈴木両名の代理人と称するシェルトンというスリランカ人が原告の実家を訪れ、「鈴木と離婚してくれないか。」といってきた。原告は、右申出があまりにも一方的であり、かつ一旦結婚した以上、終生結婚を全うすることが責任を果すことであると考えていたので、その申出を断った。その後、原告は、コロンボ警察署において、離婚問題について相談をし、更にスリランカに来た被告及び鈴木と同年五月二三日頃まで話合いをしたが、鈴木の一方的な離婚の申出を断り続けた。

(4) 原告は、同年七月四日、再度日本に入国し鈴木方に連絡したところ、スリランカ人女性(グナセケラ・B。以下「B」という。)が電話に出たので、驚愕し、大きな衝撃を受けた。

原告は、鈴木方には右女性がいるため、もはや鈴木の家に帰ることができなくなり、以来スリランカ人の友人方や知人宅に転々と身を寄せ生活してきた。

(5) 原告は、同年一一月末頃、坂本廣身法律事務所に相談に行ったところ、その調査により初めて原告と鈴木との離婚届出が同年五月二一日なされていることを知った。しかし、右離婚届は、原告の知らない間に作成されたものであり、被告が鈴木と共謀のうえ、原告の署名を偽造して作成したものである。

2  不法行為の成立

(一) 被告固有の不法行為

(1) 被告は、前記のとおり、真実の意図は、日本人男性と見合いさせて結婚させることにあるのに、これを秘し、原告に対し、日本で実務研修後スリランカに帰って日本とスリランカとの合弁企業で働くことができる旨虚偽の事実を申し向けて原告を欺罔し、その旨誤信させて原告を昭和六二年(一九八七年)九月七日来日させたものである。

(2) そのうえ、被告は原告に対し、日本人男性との見合い及び結婚を強要した。

すなわち、被告は原告に対し、見合い等を拒否する場合には、一〇万ルピー(一ルピーは約四円、スリランカの看護婦の月給は約一二〇〇ルピー)を支払わなければならないと申し述べて、無理難題を押しつけ、見合い及び結婚を強要した。そのため、原告は鈴木と婚姻せざるをえなくなった。

(3) しかも、見合いの方法たるや、原告らスリランカ人女性達を番号札を付けて一つの部屋に並ばせ、日本人男性が気に入った女性の番号を一方的に選択するというものであった。

(4) 右のような被告の行為は、営利目的での誘拐ないし人身売買及び結婚の強要と評するほかない犯罪的なもので、個人の尊厳を顧みず原告の人格権を侵害した違法なものであり、原告は、被告の右のような違法な行為により甚大な精神的苦痛を受けた。

原告の右精神的苦痛に対する慰謝料としては、二〇〇〇万円を下ることはない。

(5) 更に、被告は、原告についてのみならず、他のスリランカ人女性についても同様の行為をした国際的人身ブローカーであり、被害者は原告だけに止まらないのである。したがって、本件の慰謝料は、原告の被った精神的損害に加えて、被告が二度とこのような事態を繰り返さないように制裁を加えるべきであり、右制裁的慰謝料としては三〇〇〇万円を下ることはない。

(6) よって、原告は被告に対し、被告固有の不法行為による損害賠償請求権に基づき、右慰謝料合計五〇〇〇万円のうち三〇〇〇万円及びこれに対する不法行為後である平成二年(一九九〇年)九月一一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二) 被告と鈴木の共同不法行為

(1) 原告は、結婚は一生に一度きりと決めていたし、日本に連れて来られてスリランカにはもはや帰れなくなってしまった以上、それを自分の運命と受け止めて頑張るしかないと考えるに至ったことから、最終的には、自分自身の意思で鈴木と結婚することを決意した。そして、原告は、自分の夫となった人と幸せになろうと、日本語や日本の生活様式の修得などに努力した。

(2) ところが、被告は、原告をスリランカから騙して連行し、強制的に見合い結婚をさせておきながら、結婚後半年もしないうちに、鈴木に対し、別のスリランカ人女性を紹介するからと離婚を勧め、他方、原告に対しては、別の日本人男性を紹介するからと離婚を勧め、再婚を成立させて、再び紹介料として多額の金を手に入れようとした。

被告の右のような行為は、原告の人格を無視し、自分が売り付けた商品を返品させてまた別の商品を売り付けるかのように、人間を物扱いして何とも思わない悪質なものである。

(3) しかも、被告は、原告に離婚を拒否されるや、原告と鈴木との離婚を企て、鈴木と共謀のうえ、離婚届を偽造し、鈴木をしてこれを東京都足立区役所に届出させて行使させたうえ、別のスリランカ人女性Bと結婚させてしまったのである。

そのため、原告は、在留資格について不安定な立場に追いやられたうえ、鈴木方から追い出されてしまったため、友人や知人宅を転々として肩身の狭い思いをさせられ、また、外国人である原告にとって働き口を見付けることも容易ではなかった。

(4) 以上のように、原告は、被告及び鈴木の共同不法行為により甚大な精神的苦痛を受けた。

原告の右精神的苦痛に対する慰謝料としては、二五〇〇万円を下ることはない。

(5) また、前記固有の不法行為の場合と同様、被告に対し、制裁を加えるべきであり、その制裁的慰謝料としては、三〇〇〇万円を下ることはない。

よって、原告は被告に対し、共同不法行為による損害賠償請求権に基づき、右慰謝料合計五五〇〇万円のうち二〇〇〇万円及びこれに対する不法行為後である平成二年(一九九〇年)九月一一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実のうち、原告の生年月日及びスリランカ生まれであることは認めるが、その余の事実については知らない。

2(一)  同(二)は否認する。

(二)(1)  被告は、昭和五四年(一九七九年)から肩書き住所地において結婚相談所を開設し、日本人同士の結婚相談・仲介を行ってきたが、地方におけるいわゆる嫁不足の状況でなかなか結婚成立は困難であったので、昭和六一年(一九八六年)頃から、いわゆる国際結婚の紹介を行うようになった。

(2) 他方、被告は、昭和六二年(一九八七年)頃、コロンボにおいて、電子部品組立てを業とする会社の工場を建設中であり、将来同社の社員となるべき者を日本の企業へ研修生として送るため、その募集も行い、スリランカにおいて約五〇名を選考採用し、研修ビザにより同年九月に二回に分けて来日させている。

しかし、原告は、右研修生として採用、来日させた者ではなく、日本人との結婚を希望する者として、スリランカ現地の業者からの紹介で、来日させることとなった者である。

その証拠に、原告は、研修ビザではなく、旅行ビザで来日している。

3(一)  同1(三)(1)ないし(3)は否認し、同(4)は認める。

(二)(1)  原告は、昭和六二年(一九八七年)九月七日、前記研修生一五名と結婚希望者三名とともに来日したのであるが、研修生は各企業所在地で下車し、原告を含む結婚希望者のみが、被告方に来たものである。

(2) 同年九月頃、被告のもとには、鈴木を含む三名の男性が結婚を望んで見合いを申し込んでいたので、被告は、原告を含むスリランカ人女性との間で見合いをさせたところ、原告と鈴木との間で結婚することとなったものである。

しかも、右見合いは、被告が脅迫して強要したものではなく、任意になされたものである。

4  同1(四)の事実のうち、原告が鈴木と婚姻生活を始めたことは認め、原告が新家庭を作るべく努力したことは不知、その余の事実は否認する。

5(一)  同1(五)(1)の事実のうち、鈴木が暴力を振るったことは不知、その余は認める。

(二)  同1(五)(2)の事実のうち、原告がスリランカに帰国したことは認め、その余は知らない。

(三)  同1(五)(3)の事実のうち、原告が昭和六三年(一九八八年)五月スリランカに帰国し、コロンボ警察署に赴いたこと、被告及び鈴木と原告とで離婚について話合いを持ったこと、原告が鈴木の離婚の申出を断っていたことは認め、その余は知らない。

鈴木は、同月頃、スリランカを訪れ、同国の弁護士に離婚のための手続を依頼し、合わせて話合いによる解決をも図るためコロンボ警察署に仲介を依頼した。

被告及び鈴木は、その仲介の中で、離婚することとするが半年後に慰謝料として一五万ルピー(約九〇万円)を支払う旨の意見が示され、それに従うこととした。

(四)  同1(五)(4)の事実のうち、鈴木が原告主張のスリランカ人女性と生活していることは認め、その余は知らない。

(五)  同1(五)(5)の事実のうち、離婚届が出されていることは認め、被告が鈴木と共謀のうえ原告の署名を偽造したことは否認し、その余は知らない。

右離婚届は、現地の関係者から被告のもとに原告の署名付で届けられ、鈴木は、これにより離婚届をしたものである。

被告は、右離婚届があまりに円滑に届けられたことから、もしや偽造ではないかとの疑いを持ったことは事実であり、それでもやむを得ないと判断して鈴木の届出を認容した。

しかし、被告は、右離婚届の偽造そのものに直接関与していない。

6(一)  同2(一)(1)のの事実のうち、被告が原告に対し虚偽の事実を申し向けて欺罔したことは否認する。原告は結婚目的で来日したものである。

(二)  同2(一)(2)の事実のうち、被告が原告に対し見合い及び結婚を強要したことは否認する。

(三)  同2(一)(3)及び(4)の事実は否認する。

原告主張の損害額は著しく高額であって不相当である。しかも、被告は離婚届の偽造及び行使については、既に刑事事件として制裁も受け、また、新聞報道等により家族を含め社会的な制裁も受けている他、現在では、外国人との結婚斡旋業も一切行っていない。したがって、原告主張の制裁的慰謝料については、そもそも理論上の問題もあるうえ、被告の右のような現状では必要がない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一争いのない事実

原告が昭和三八年(一九六三年)生まれののスリランカ人であり、昭和六二年(一九八七年)九月七日来日し、同年九月一〇日鈴木と見合いをし、同年一〇月一日スリランカにおいて挙式し、同年一〇月三〇日鈴木と婚姻届出をしたこと、原告が昭和六三年(一九八八年)五月スリランカに帰国し、同年七月再度来日したが、原告がスリランカに滞在中の同年五月二一日原告と鈴木との離婚届出がなされたことは当事者間に争いがない。

二事実経過

1  原告の来日に至る経緯

〈書証番号略〉、証人鈴木春夫、同中村尚司の各証言、原告(第一、二回)・被告(但し、後記採用しない部分を除く。)各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告の身上・経歴

原告は、昭和三八年(一九六三年)五月七日、スリランカのゴタドゥファで、父母と兄弟姉妹五人の八人家族の第四子として生まれ、一四才で義務教育を終えた後、二年間のOL課程(中等課程)を修了し、更に、上級のAL課程(高等課程)に進学し、昭和五六年(一九八一年)、看護婦の資格を取得してコロンボの中央病院に看護婦(月給約二〇〇〇ルピー)として三年間勤務したが、心臓病を患ったため退職し、それ以降は、家事に従事していた。

(二)  被告の花嫁斡旋事業の展開

(1) 被告は、昭和五四年(一九七九年)以来、肩書き住所地において広告宣伝及び結婚相談を業とする有限会社東信メールを経営し、当初は日本人同士の見合いを斡旋していたが、その成婚率が低く、農村における花嫁不足が深刻化していたことから、スリランカから独身女性を来日させて日本の独身男性に紹介する事業を開始し、昭和六一年(一九八六年)八月一五日、スリランカ人宝石商訴外ランジット・ウィマララトナ(以下「ランジット」という。)との間で、同人を同国における窓口とする旨のスリランカ人女性斡旋の基本契約を締結し、同月頃、当時農村における花嫁不足解消のための国際結婚推進に熱心であった長野県青木村議会社会委員長、同村住民課長とともに、日本人男性三人をスリランカに同行し、スリランカ人女性と初めて見合いさせ、結婚させた。

(3) ところが、被告がランジットに対し紹介した日本人男性の年齢や職業について虚偽の情報を提供したため、ランジットと紹介先のスリランカ人との間で問題を生じた。そのため、ランジットは、同年末頃、被告に対し、同人をなじる手紙を送付して被告に対する協力を一旦やめたのであるが、同年一一月、被告の弁明により被告と和解したものの、やはり被告が日本人男性について虚偽の情報を提供したので、結局被告との事業から手を引いた。

(4) 被告は、ランジットとの関係が断絶した後も、ジャヤマハ、クスマペレラ(ランジットの義母)、ニロミ(同女の娘)、プンニャ(結婚登記官)といったスリランカ人をスタッフとしてスリランカ人花嫁斡旋事業を継続していたが、昭和六二年(一九八七年)一一月頃からは、これまでのように日本人男性をスリランカへ同行して見合いさせる方式からスリランカ人女性を日本へ同行して見合いさせる方式を採用した。

(5) 被告は、昭和六一年(一九八六年)八月から昭和六三年(一九八八年)までの間に約六〇組ないし七〇組の日本人男性とスリランカ人女性の婚姻を成立させたが、その方式はおおむね以下のとおりに行われた。即ち、被告は、一度に一〇人ないし二〇人のスリランカ人女性を来日させ、結婚を希望する男性二、三人と右一〇数名のスリランカ人女性を集団で見合いさせ、男性側の指名に対し、女性側が承諾すれば結婚させることとし、スリランカで合同の結婚式を挙げる。結婚が成立した場合、日本人男性は、被告に対し報酬として二五〇万円ないし三〇〇万円を支払い、被告から花嫁側の家族に対し結納金五万ないし一〇万ルピーが支払われる、というものであった。

しかしながら、被告による右花嫁斡旋は、紹介する日本人男性に関する情報(特に、年齢、職業、離婚歴)に関する偽りが多く、他方スリランカ人女性側に対してはパスポートを取り上げ、結婚を拒む者に被告が支出した費用の返済を要求するなどして、強制的に結婚を迫るものであり、熊谷大学教授中村尚司が調査したところによると、被告の紹介により結婚した三一組中二六組が被告の結婚斡旋の仕方に問題があると指摘し、こうした強引な結婚斡旋の結果、少なくとも三名のスリランカ人女性が現地で挙式しながら逃げ出し、一五名のスリランカ人女性が離婚してスリランカに帰国し、一二、三名の女性が離婚後、日本にとどまっている事態となった。

そして、このような被害にあったスリランカ人女性らの訴えにより、昭和六三年(一九八八年)三月、在日スリランカ協会が国際結婚のあり方に関する提言を行い、平成元年(一九八九年)五月には在日スリランカ大使館が実態調査を行うに至っている。

(三)  原告の来日の経緯

(1) 被告は、昭和六二年(一九八七年)七月頃、スリランカの安価な労働力に着目し、スリランカに電子部品の組立て工場を経営するアポロ・エレクトロン社を設立し、研修名目でスリランカ人女性を日本の工場に派遣し、日本の工場主より斡旋料を得るとともに、前記スリランカ人花嫁斡旋事業の花嫁供給源とすることを企て、クスマ・ペレラを通じてシンハラ語の日刊紙「ディナミナ」紙に、アポロ・エレクトロン社名で、「日本で三か月間の技術研修を受ける者を募集する。研修を終えれば日本とスリランカの合弁会社である同社で働くことができる。応募の資格はOL課程を修了した女性である。」との広告を掲載した(なお、アポロ・エレクトロン社はその後昭和六二年(一九八七年)一一月一三日、スリランカ政府から合弁事業の認可を得て工場用建設を建築したが、平成元年(一九八九年)に至っても全く設備を設けず、一度も操業しないため、大コロンボ経済委員会により解体処分する旨の決定がなされている。また、被告は、スリランカ人女性を来日させ日本の工場に同女らを斡旋した謝礼として一人当たり三八万円を受領している。他方、斡旋されたスリランカ人女性らは、無給のまま一日当たり八時間以上の労働を強いられ、指示に従わない場合は二万五〇〇〇ルピーの罰金を課せられ、スリランカに帰国させられることになっており、研修とは名ばかりであった。これらスリランカ人女性は、いずれも短期滞在のビザにより来日していたことから、昭和六三年二月頃には不法就労ではないかと新聞報道され、国会でも追及されたため、結局、同女らのビザは更新されず、まもなく全員スリランカに帰国した。)。

(2) 原告は、昭和六二年(一九八七年)七月頃、健康も回復し、そろそろ再就職したいと考えていたところ、アポロ・エレクトロン社の前記新聞広告を見つけ、これまでコンピューターの勉強をしたことはなかったが、日本との合弁会社でOL課程修了の女性を募集するなら待遇も悪くないはずであると考え、また、外国に研修に行かねばならないが、三か月間と比較的短期間であったことから、家族の賛成も得られたので、被告の右研修生募集の広告に応募した。

(3) 原告は、同年八月一〇日頃、ピリアンダラにあるクスマ・ペレラ事務所で被告から面接試験を受けた。

その面接試験の内容は、主に被告が話をしてニロミが通訳するというもので、被告は、原告ら応募者に対して、現在の職業及び応募理由を質問した後、アポロ・エレクトロン社の給料は普通の会社に比べてよいこと、研修は三か月間で費用は全て会社が持つことなど、会社についての説明と研修の概要を話しただけで、見合いや結婚については話さなかった。

(4) 原告は、面接試験の二、三日後、採用通知を受けたので、同年九日七日、研修の目的で、他のスリランカ人女性二三名とともに来日した。但し、右スリランカ人女性の中には、当初から日本人男性との結婚を目的として来日した者も含まれていた。

被告側は、成田空港において、原告らからパスポートと帰りの航空券を預かり、原告らをバスで成田空港から長野県の被告方に向かわせ、途中の工場所在地ごとに、三人か四人ずつスリランカ人女性をバスから降ろした。

しかし、原告を含めた三人は、途中で下車させられることなく、被告宅まで行き、同日から被告宅に宿泊することとなった。

以上の事実が認められ、〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果中の右認定に反する部分は前記認定事実に照らすと採用することができず、他に右認定事実を覆すに足りる証拠はない。

2  原告の来日目的について

(一)  被告は、「原告は結婚目的で来日した。それは、①研修目的で来日した者は、パスポートの目的欄に「TRAINING」と記載されていること、②研修目的で来日した者は成田空港から被告方へ向かう途中の研修先の工場ごとに下車し、結婚目的で来日した者のみが被告宅まで行ったことから明らかである。」旨主張し、〈書証番号略〉、証人Cの証言及び被告本人尋問の結果中には右主張に沿う部分が存する。

(二)  ところで、〈書証番号略〉によると、原告と同じ昭和六二年(一九八七年)九月七日に入国したスリランカ人女性のパスポート記載の日本の入国ビザはいずれも原告と同じ同年九月四日にコロンボの日本大使館において発行されているが、同女らのビザにはいずれも、「FOR TRAINING」と記載されているのに対し、原告のパスポート(〈書証番号略〉)には、「FOR TOURISM」との記載がなされていることが認められる。

(三)  しかしながら、〈書証番号略〉、原告本人尋問の結果(第一、二回)及び裁判所に顕著な事実によると、原告の取得した「FOR TOURISM」との記載のビザであれ、被告主張の「FOR TRINING」と記載のビザであれ、平成元年(一九八九年)法第七九号による改正前出入国管理及び難民認定法によれば、いずれも同法四条一項四号(いわゆる四―一―四)に該当する短期滞在ビザであることに差異はなく、許可要件に全く違いがないこと、しかも、右ビザの取得手続をしたのは原告自身ではないことが認められるのであるから、右記載の相違のみをもって原告の来日目的が研修ではないということはできない。

(四)  また、原告が日本到着後、被告宅に行く途中で下車しなかったのは前記認定のとおりであるが、もともと、原告は来日の経験もなく、地理も分からず被告側の指示のとおり被告の用意したバスに乗車していたのであるから、右事実をもって原告の来日目的が研修ではなかったということもできない

(五)  これに対し、〈書証番号略〉及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、スリランカ出発前に被告側から滞在先等について教えられ、これをメモしていたので、昭和六二年(一九八七年)九月七日来日した際、右メモに基づき、日本への入国記録に、自ら、渡航目的を、「STUDING」、日本における連絡先を、「APPOLLO、ELECTRON、COMPANY、166、YUHARA、USUDAMACHI、MINAMIISAKUGUN、NAGANOKEN」と記載していることが認められ、右認定事実に照らすと、原告がアポロ・エレクトロン社における研修を目的として来日したことは明らかである。

(六)  したがって、〈書証番号略〉、証人Cの証言及び被告本人尋問の結果中の前記被告の主張に沿う各部分は、右認定事実に照らし採用することができない。

3  原告の鈴木との婚姻に至る経緯

〈書証番号略〉、(但し、後記採用しない部分を除く。)、証人鈴木春夫及び同中村尚司の各証言並びに原告(第一回)及び被告(但し、後記採用しない部分を除く。)各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告らが被告宅に到着した当時、被告は在宅しておらず、同人宅には、同人の息子訴外乙川二郎(以下「二郎」という。)らのほか、二〇人位のスリランカ人女性が寝泊りしていた。原告は、二郎らから、これからのことについてなんら説明を受けなかったため、これからどうなるのか不安に感じたが、とりあえずその日は、被告宅の一部屋で数人のスリランカ人女性とともに宿泊した。

(二)  翌朝、二郎は原告らに対し、皆きれいな服装に着替えてホールに集まるように命じた。原告は、突然のことでどういうことか理解ができなかったため、以前から被告宅に滞在していたスリランカ人女性に尋ねたところ、日本人男性と見合いをすると教えられた。原告は、コンピューターの研修を受けるために来日したものであり、日本人男性と見合いすることなど聞かされていなかったもので、驚いて二郎に対して見合いの話など聞かされていないと抗議したが、二郎は取り合わなかった。原告は、見合いに参加するのは嫌であったが、以前から被告宅に滞在していたスリランカ人女性から、被告は多分すぐ帰ってくるであろうと聞いたので、被告が帰ってくれば事情が判ると思い、取り敢えず、見合いには参加することとした。

見合いは、スリランカ人女性が部屋に二列に並ばせられ、日本人男性が一人ずつ部屋に入ってきて、気に入った女性があれば、通訳のチャーニーに知らせ、チャーニーが指名を受けた女性を呼んで部屋の外に連れ出し、二郎がその女性に結婚の意思を打診するという方法であった。

このような方法での見合いは、昭和六二年(一九八七年)九月一一日までの四日間続けられ、原告は、何度か日本人男性からの指名を受け、二郎から結婚の意思を打診されたが、原告には結婚する意思が全くなかったので、原告は、結婚の申入れをすべて断った。原告が見合いした男性は、ほとんど原告の父親位の年齢であった。

(三)  被告は、同年九月一一日夕方に帰宅したが、まだ結婚が一件も成立していなかったので、原告らスリランカ人女性に対し、なぜ結婚しないのかなどと説教し、翌日も結婚が一件も成立しなかったため、立腹して、夕方頃から、スリランカ人女性を一人ずつ自室に呼び、「どうして結婚に応じないのか。」と問い詰めた。原告は、被告から同日午後一〇時頃、呼び出されたので、同席していた通訳チャーニーを通じて、「話が違う。帰国したいからパスポートを返してほしい。」と抗議したところ、被告は原告に対し、「帰りたいのであればこれまで被告が出した費用を返せ。そうしないとパスポートは返さないし、警察に訴える。」と大声で脅した。

原告は、なおも抗議しようとしたが、通訳チャーニーが被告を恐れて通訳してくれなかったうえ、警察に通報されたら、パスポートもなく日本語も分からないので困ったことになると不安に思い、引き下がらざるをえなかった。

(四)  被告は、同年九月一三日、原告らスリランカ人女性に対する態度を急変させ、食事を減らしたうえ、シャワーや風呂も使わせず、更に、見合いに出たくないといっていた者に対し、帰国を認めるかわりに旅費を返還するように要求して、暗に、見合いに応じて結婚するように仕向け、それでも見合いを嫌がった原告ら八人のスリランカ人女性に対し、二人ずつ、事務所の前を通らなければ外出することができない部屋への移転を命じ、「旅費を払ってスリランカに帰れないのならこの部屋にじっとしているがいい。」といって、事務所から監視して原告らが部屋から出られないようにするなどの嫌がらせをするようになった。。そのため、原告は、今は諦めて、被告のいうとおりに見合いをして結婚相手を決めて被告宅から出て、その後逃げられるのなら逃げればよいと考えるに至った。

(五)  原告は、被告の要求にしたがって、同年九月一四日から見合いの席に出るようにした。それに伴い、被告の嫌がらせもやみ、食事の量も元どおりになり、シャワーや風呂も使えるようになった。

その頃から見合いの方法も変わり、それまでの方法から、日本人男性がいる部屋にスリランカ人女性が一人ひとり入っていく方法になった。

(六)  ところで、当時独身で結婚を考えていた鈴木は、同年七月頃、テレビ番組で、被告によるスリランカ人女性の花嫁斡旋活動を知り、同年九月一五日、被告方を訪ねたところ、被告の勧めで、早速スリランカ人女性と見合いをすることになった。

鈴木は、見合いの席で最後に出てきた原告を気に入り、被告にその旨伝えたが、被告から鈴木のことを聞いた原告は、鈴木の右申入れを断ったところ、被告は、それ以上原告に結婚を強く勧めることはしなっかた。なお、被告は原告に対し、鈴木のことを説明する際、年齢を三六歳(昭和一二年四月一八日生まれで、実際は当時五〇歳)であると偽って説明した。

その後、別のスリランカ人女性が鈴木と結婚することを承諾したので、鈴木も気が進まなかったが、被告の勧めにしたがって、一旦は右女性と結婚することを承諾した。鈴木は、当日、被告宅に宿泊したが、同年九月一六日朝気が変わり、被告に対し、前日決めた女性との結婚を断ったところ、被告の妻である訴外乙川明子(以下「明子」という。)が鈴木に対し、原告が鈴木との結婚を承諾したといい、その後、被告も同様のことを鈴木にいったため、鈴木は、原告との結婚を承諾した。

他方、原告に鈴木との結婚を承諾させるため、まず、明子が、原告を呼び出し、「鈴木さんがあなたじゃなきゃどうしても嫌だといっているから、もう一度考え直してごらん。」、「もうすぐ被告が帰ってくるけど、帰ってくるまでに話を決めておいた方がよいよ。」などと説得したが、原告は、鈴木との結婚を断った。ところが、帰宅した被告は原告に対し、いきなり、「原告の結婚相手は鈴木に決めた。鈴木はもう帰るから早く返事をしろ。」などと、鈴木との結婚を承諾するよう原告に一方的に迫った。原告は、なお、鈴木と結婚は気が進まなかったが、数日前、結婚を断ったにもかかわらず、結婚を承諾するよう被告から大変な剣幕で執拗に要求され、無理矢理結婚を承諾させられたスリランカ人女性がいたのを見ていたので、自分も、もうこれ以上断りきれないと観念し、被告に対し、鈴木との結婚を承諾し、被告の強い指示に従って鈴木の前にひざまずき、お辞儀をした。

その後、鈴木は被告に対し、挙式のためスリランカに渡航する前に、原告との結婚の仲介料として五〇〇万円(原告に対する結納金、スリランカへの旅費、宿泊費、挙式費用を含む。)を支払った。

(七)  原告は、同年九月二九日、挙式のため、鈴木とともにスリランカに帰国したが、帰国前後を通じて何度も隙を見付けて逃げ出し鈴木と結婚せずに済ませたいとも考えたが、逃げ出したりしたら、警察沙汰になったり、家族に迷惑をかけることになると考え、逃げ出すことを断念し、また、原告の家族から繰り返し原告の気持ちを確認された際も、事情を全部話そうかと迷ったが、結局家族に迷惑がかかることを心配して事情を打ち明けることができなかった。

鈴木は、同年一〇月一日、原告とコロンボのラマダホテルで挙式し、スリランカの方式にしたがって婚姻し婚姻証明書の交付を受けたうえ、同年一〇月三〇日、東京都足立区役所に対し原告との婚姻届出をなした。

以上の事実が認められ、〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果中の右認定に反する部分は、前記認定事実に照らし採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  見合い及び婚姻について被告による強制の事実の有無について

(一)  右3認定事実によれば、被告は、原告らのパスポートなどを預かったうえ、原告らスリランカ人女性が数度にわたって結婚を拒み続けたため、原告らを一人ずつ呼び出して結婚しない理由を執拗に問い詰め、原告がこれに応じないのに対し、「もし結婚に応じないならば、これまで被告が出した費用を返さなければパスポートを返還しないし、警察に訴える。」などといって脅迫し、かつ、食事を減量したり、シャワーを使わせない等の仕打ちをし、見合いに応じない原告ら八人を別の部屋に入れ、事務所から監視して外に出られないようにするなどの嫌がらせをして原告らをして見合いのうえ結婚しなければならないとの気持ちに追い込み、さらに鈴木との結婚を承諾させるために被告の妻明子が説得を行ったうえ、被告において「原告の結婚相手は鈴木に決めた。鈴木はもう帰るから早く返事をしろ。」等と執拗に迫り、遂に原告に対し鈴木との結婚を承諾させるに至らしめたものであることが認められ、右事実に照らすと、被告は原告に対し、鈴木との見合い及び婚姻を強制したものというべきである。

5  離婚届に至る経緯

〈書証番号略〉、証人鈴木春夫の証言、原告本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和六二年(一九八七年)一〇月五日、鈴木とともに再度来日し、東京都足立区〈番地略〉の同人宅で婚姻生活を開始した。

(二)  原告は、スリランカでは離婚した女性に対する風当たりが強いこと、特に、国際結婚をして離婚した女性に対して社会の目が厳しいことから、鈴木との婚姻が不本意なものであったとはいえ、一旦結婚した以上、このまま鈴木との婚姻関係を続けていこうと考えていた。

また、鈴木は、原告を連れて結婚の挨拶に近所を回るなど、原告と結婚できたことを喜んでいた。

(三)(1)  しかし、鈴木は、原告と言葉が通じないという問題を抱えていたにもかかわらず、原告の母国語であるシンハラ語はもちろん英語も勉強することはなく、単に身振り手振りだけで意思疎通を図ればそれで十分であるとして、原告と意思疎通を図るための積極的な努力をしないばかりか、原告が日本語を勉強するために日本語学校に通学したいと申し出ても取り合わないなど、原告に対する配慮が非常に欠けていた。

(2) したがって、原告と鈴木の夫婦生活は、互いの国語を理解できないこともあってうまくいかず、食事も別々にとる状態であり、鈴木は、原告を東京都内の北千住駅に置き去りにするなどしたこともあり、他方、原告においても、物に当たり散らすことがあったりして、徐々に両者間の溝は深まっていった。

(四)  鈴木は、結婚生活が右のような状態であったことから、同年一一月頃、原告を伴って被告方を訪ね、被告に対し、原告との結婚生活の実情を話した。これに対し、被告は鈴木らに対し、原告との間の仲がうまく行かないのは、二人の間の年齢が開きすぎているからであるとして、それぞれに対しまた別の人を紹介してやるといって、原告と鈴木の双方に離婚と再婚を勧めた。

原告の性格や行動等に閉口していた鈴木は、直ちに被告の勧めを受け入れたが、原告は、離婚に応ずるつもりはなかったので、被告の申入れを拒絶した。

鈴木は、帰京後、原告に対し、執拗に離婚を求めるようになり、原告を買物に連れて行かず、一緒に出歩くこともなくなり、また、家を空ける機会を増やして原告を避けるようにするなどしたため、原告との関係はますます疎遠なものになっていった。

このような鈴木の態度によって、原告は、追い詰められたようになり、鈴木に対し、暴力を振るったり、家の中で包丁を振り回すようになったり、昭和六三年(一九八八年)二月頃の午後四時頃には自宅で石油缶を引っ繰り返したりしたこともあった。そのため、鈴木は、原告を持て余し、弁護士や警察などに相談したが、うまくいかず、ますます原告との離婚を望むようになった。

(五)(1)  原告は、同年二月頃、スリランカにいる父が糖尿病で入院し、足を切断する手術を受けるという連絡を受け、直ちにスリランカに帰国したいと考えたが、鈴木の母が危篤状態であったのでしばらく帰国は見合せていたところ、同年四月鈴木の母が死亡しその葬儀が済んだので、同年五月五日、単身でスリランカに帰国し、手術を終えて自宅で療養している父を見舞った。

(2) 鈴木は、かねて被告から、原告との離婚の話は日本ではまとまりにくいが、スリランカでなら離婚の話がしやすいので原告がスリランカに帰国したら知らせてくれるようにいわれていたので、原告がスリランカに帰国した後、直ちに被告に連絡を取ったところ、同年五月七日頃、スリランカに滞在中の被告から電話で、「原告がスリランカ男性とデートしているのを現地スタッフが見た。離婚条件に有利だからすぐ来い。」といわれた。

(3) そこで、鈴木は、被告の指示で離婚届出用紙を三、四枚携えてスリランカに渡航し、前記ラマダホテルで被告と会い、右離婚届用紙を被告に渡すとともに、原告との離婚方法について話し合った。

(4) 原告がスリランカへ帰国して三日目位後に、被告と鈴木両名の代理人と称するシェルトンというスリランカ人が原告の実家を訪れ、原告に対し、「鈴木が離婚したいといっている。」といってきた。

原告は、右申出に驚き、ラマダホテルに赴き、鈴木と会ったところ、鈴木は原告に対し、「離婚することに決めた。もう会わないから弁護士と話をしてほしい。」というのみであった。原告としては、一旦結婚した以上、終生結婚を全うすることが責任を果たすことであると考えていたので、鈴木の離婚の申出を断った。その後、鈴木は、原告と現地の警察を交えて話し合ったが、原告は、鈴木との離婚に応じなかった。そこで、鈴木は、同年五月一二日、被告の紹介で現地の弁護士に依頼し、原告を相手取り離婚を求める訴訟をコロンボの裁判所に提起した。これに対し、原告は、応訴したうえ、鈴木に対し、離婚を求めるとともに、離婚の慰謝料として二五〇万ルピーを請求した。

(5) ところが、その後も原告と鈴木との離婚の交渉は一向に進展しないため、鈴木が失望していたところ、被告は鈴木に対し、同年五月一八日頃、「気のやさしい、良い女性を紹介するから。」ともちかけ、更に原告との離婚手続についても、「日時はかかっても絶対話をつけるから心配しなくていいよ。任せておきなさい。」と述べたうえ、離婚の仲介料と新たな花嫁紹介料として一一〇〇万円の支払を要求した。鈴木がこれを承諾したので、被告は鈴木に対し、スリランカ人女性Bを紹介したところ、鈴木も同女を気に入り、同女も結婚を承諾した。

(6) 更に、被告は、被告の現地のスタッフに離婚届の原告の署名を偽造させ、鈴木に対し、同年五月一八日頃、右離婚届(〈書証番号略〉)を手渡し、「原告の署名を偽造した偽の離婚届であるが、後日、必ず原告の本物の署名をもらった離婚届を渡すから、ひとまず日本に帰って偽の離婚届を区役所に出しておいてくれ。」といった。

(7) 鈴木は、右離婚届の原告の署名が偽造であることを被告から教えられたが、早く原告と離婚してBと再婚したいと考えていたので、いずれ原告の本物の署名がある離婚届を渡すという被告の話を受け入れ、右離婚届を携えて日本に帰国し、明子と二郎に証人になってもらったうえ、同年五月二一日、東京都足立区役所に右離婚届を提出した。

(六)  被告は、その後も原告と前記離婚について話合いが付かず、原告から離婚届の署名をもらうことができなかったが、鈴木に対し後日原告の本物の署名のある離婚届を渡すと約束していた手前があったため、現地のスタッフに再び原告の署名を偽造させた離婚届を作成したうえ、鈴木に対し、同年五月下旬頃、原告との離婚の話がつき、原告から離婚届に署名がもらえたと虚偽の事実を電話で伝え、更に、日本に帰国後の同年六月上旬頃、再度鈴木に電話をして、原告との離婚の報酬を持ってきてほしい、その時に本物の離婚届を渡す旨を伝えた。

そこで、鈴木は、直ちに被告宅を訪ね、被告に対し、原告との離婚仲介料として六〇〇万円を支払うとともに、原告の本物の署名のある離婚届であると誤信して、被告から原告の署名が偽造された二通目の離婚届を受け取ったが、既に一通目の離婚届を東京足立区役所に提出していたため、二通目の離婚届はそのまま手元に置いて保管していた。

鈴木は、再びスリランカに渡航して、Bと挙式したうえ帰国し、同年七月一五日、東京都足立区役所に対し、Bとの婚姻届出をなし、被告に対し、花嫁紹介料として五〇〇万円を支払った。

(七)  原告は、同年七月四日、再度来日し、成田空港から鈴木宅に電話を入れたところ、既に鈴木と同居していたBが電話に出たため、鈴木が別の女性と同棲し、もはや自分が被告宅に戻ることができなくなっていることを知り、やむなく、長野県内在住のスリランカ人の友人方に転がり込み、それ以降、茨城県の知人宅などに身を寄せるなど安定した居住場所もなく、また、鈴木との離婚届が提出されたため、配偶者ビザの特権も失い、三か月間または九〇日間の短期滞在のビザの更新を繰り返すなどの不便を強いられるようになり、現在に至っている。

(八)(1)  なお、原告は、右離婚届の偽造について、平成二年(一九九〇年)四月一六日、東京地方検察庁に対し、被告及び鈴木を有印私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使罪等により告訴するとともに、鈴木及びBを相手として東京地方裁判所に離婚無効確認等請求の訴え(東京地方裁判所平成二年(タ)第三〇三号)を提起した。

(2) 右告訴事件については、東京地方検察庁は右被疑事件を足立区検察庁に移送し、同検察庁において、平成三年(一九九一年)一〇月一四日、被告及び鈴木を公正証書原本不実記載及び同行使の罪により略式起訴(平成二年検第一〇五一〇号、第一〇五一一号)をした。その結果、被告は、罰金二〇万円に処せられた。

(3) 右離婚無効確認等請求事件については、東京地方裁判所において平成三年(一九九一年)二月二〇日原告全部勝訴の判決が言い渡され、現在東京高等裁判所に係属中である。

以上の事実が認められ、〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果中の右認定に反する部分は前記認定事実に照らし採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三被告の不法行為

1 被告固有の不法行為について

被告は、前記認定のとおり、日本人男性と結婚させる目的であったのに、右意図を秘し、日本において研修させると偽って原告を欺罔し来日させたうえ、原告に対し、日本人男性との見合いを強要し、結婚を拒絶するや、原告の到底支払うことのできない金額の支払を要求したり、食事の量を減らし、シャワーを浴びさせない等の脅迫・嫌がらせを行った末、極めて短期間のうちに、原告の意思に反して鈴木との結婚を承諾させたものである。

花嫁不足に悩む農村の独身男性等のために国際結婚を推進することそのものは、もし、これが、正確な情報を基に、両当事者の自由な意思決定により行われ、真の相互理解により結婚が実現するのであれば、国際交流の一つのあり方として是認しうるものである。

しかし、被告の原告に対し行った前記一連の行為は、その程度をはるかに超え、国際結婚推進の美名の下に、専ら被告の事業の利益のために、まさに人身売買にも等しい卑劣な方法により、日本語や日本の事情の全く分からない原告の人権を無視して強引に原告に対し結婚を押しつけたもので、人道的にも許し難い違法な行為であり、不法行為が成立するというべきである。

2 被告と鈴木との共同不法行為について

また、前記離婚届偽造及び届出行為についても、被告は、鈴木から原告との結婚生活がうまくいかないと相談を受けるや、原告の立場を全く考慮せず、一方的に離婚を勧め、原告がこれを拒むと、原告がスリランカに帰国した機会を利用して、原告の署名を偽造した離婚届を鈴木に渡し、鈴木において偽造であることを承知のうえこれをもって原告との離婚届出をしたものであって、被告の右一連の行為は、原告に対する人権無視も甚だしく、スリランカ人女性をまさに商品扱いした人道的にも許し難い違法な行為であって、鈴木との共同不法行為が成立するというべきである。

四原告の被った精神的損害

前記認定事実によれば、原告は、日本においてコンピューター技術を身につけ、スリランカ帰国後、日本との合弁企業に勤務することを夢見て来日したのが、右来日は被告に騙されたものであったうえ、被告によって、来日直後に鈴木との見合い及び結婚を強要され(人間にとって結婚相手を決めることは一生の問題であり、その決定の自由は極めて重要な基本的権利である。しかるに、面接をして二日も経ず、話も全くしたこともない者との結婚を強制した被告の行為は、原告の右結婚の自由を侵害したものである。)、結婚後は六か月弱の間険悪で不幸な夫婦生活を過ごした末、今度は勝手に偽造された離婚届により離婚届出をされ、妻たる地位を事実上喪失させられ、鈴木宅から放り出されてしまったものである。

被告は、このように、嫌がる原告を無理矢理婚姻させておきながら、今度はすぐに離婚届を偽造して無理矢理離婚させようとしたものであり、原告が被告のこのような人道的に許し難い違法な行為によって人生計画を狂わされ、甚大な精神的苦痛を受けたことは原告本人尋問の結果(第一回)により明らかであり、右精神的苦痛に対する慰謝料は、被告の行為の計画性、行為の方法、手段及び態様、行為の違法性の程度、原告の受けた精神的苦痛の程度など本件に表れた諸般の事情を総合勘案すると、被告固有の不法行為に対する慰謝料として七〇〇万円、被告と鈴木との共同不法行為に対する慰謝料として五〇〇万円と認めるのが相当である。

五制裁的慰謝料について

原告は、精神的損害を慰謝するものとは別に、被告の本件不法行為の態様等に照らして、制裁的慰謝料が発生すると主張する。

確かに、本件のような人身売買的行為が二度と繰り返されてはならない。しかしながら、加害者に懲罰、制裁を科するとか、不法行為の再発防止を図るとか、そのため慰謝料を高額のものとすることなどは、不法行為によって被った被害者の損害を加害者に賠償させることを目的としている民法の定める不法行為に基づく損害賠償制度の理念に反するばかりでなく、私法と刑事法とを峻別し、刑罰権を国家に委ねることとしたわが国の法制度に合致しないものであるから、わが国の民法の解釈としては、採用することができない。

六よって、原告の本訴請求は前記損害合計一二〇〇万円及びこれに対する不法行為後である平成二年(一九九〇年)九月一一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官見満正治 裁判官鬼澤友直 裁判官飯畑勝之)

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